陰鬱な独り言

脳内エキセントリック

堂本剛に救われた話

 

私と堂本剛との出会いは、彼個人のラジオ「Fashion&Musick Book」からだった。

 

当時の私はまだ学生で、冬将軍がドンと居座る夜の駅のホーム、その頃はまだ120円だった缶のコンポタを片手に、ぼうっと呆けながら線路を見つめていた。

ーー死にたい。もう耐えられない。

そんな気持ちを持て余し、ただただ線路を見つめていた。

 

何故だかは、もう覚えていない。

けれど、普段は聴くことがないラジオがイヤホンを通して頭に流れていた。

そう、その時流れてきたラジオこそが「Fashion&Musick Book」だ。

堂本剛が、優しい声音で何かを話していた。

悴む手を擦り合わせながら、まだ動けずにいた私にとって、その優しさには堪らない物があった。

 

堂本剛は、リスナーからの相談を受け、自らのパニック障害について語っていた。

 

身内の話になり申し訳ないが、私の家族は精神的な病を恥とし、親族から出た精神病者もこっそりと蔑まれているのを目の当たりにしていた。

なので、薄々は勘付いていた自分の病の存在からは必死に目を逸らし、自分を誤魔化しつつ生きる毎日だった。ーーその結果、自殺の選択を手に取りそうな程には追い詰められていた。

 

一通りの経験を語り、病気に対するアドバイスを交えながら話し終えた彼。

その日、堂本剛が選曲したのは「ソメイヨシノ」だった。今思うと、神様は本当にいるんだろうな…と思わされるようなトークと選曲。

 

涙が止めどなく流れた。

後にお母様を想って創られた曲だと知ったが、その時始めてソメイヨシノを耳にした私にとって、それはまさに救いの曲だった。

 

「この眼がこの雫を零す意味を誰か教えてはくれませんか?誰も知らない、僕も知れない」

当時の私は、特に意味もない涙を流す事が多かった。理由の無い焦燥感、不意にドン底まで落ちる気分。それに伴い瞳からは涙が流れる。でもその涙のわけが、自分では理解できない。

そんな私にとって、このフレーズは響まくった。ハッとさせられた。自分と同じような人がいるのだと。

 

「理由がないから拭えなかったよ。君もそうなの?抱いてあげたい」

上にも記してある通り、理由がない涙を流しながらも、拭えない日々だった。

ほぼ初めましてだった堂本剛に、私はこの時、優しくも強くしっかりと抱きしめてもらった。

溢れる涙が止まらなかったのを、鮮明に覚えている。

 

ソメイヨシノについては共鳴したエピソードを挙げ始めるとキリがないので、特に感情を揺さぶったこの二点だけを。

 

兎角、頭を煉瓦でブン殴られたような衝撃を受けた私は線路に飛び込むことをやめ、家路についた。

そして次の朝、私は震える手で堂本剛からもらった愛を握りしめて、両親に「精神科にかかりたい」という旨を告げた。

いい顔は、されなかったように思う。

恐怖が先行しすぎて、あまり覚えていない。

ただ、承諾はしてくれた。

それだけでありがたかった。

 

受診した結果、抑うつ、パニック、パーソナリティ障害との診断結果が出た。

この病気たちとは今でも付き合いをしていて、上半期にはこれらが原因で入院までした。

だが、処方された薬を飲んだら、死にたい気持ちもコントロールがある程度は効くようになった。

 

それもこれも、あの日のラジオのおかげ。

あの凍えるような寒い駅のホームで堂本剛のラジオを聴いていたから。

自分の病気をオープンにして、同じ症状を抱える人に寄り添う選択を堂本剛がしてくれたから。そして、たまたまソメイヨシノを選曲してくれたから。

 

今もまだこの世に私がいます。

堂本剛にこの命を救われました。