陰鬱な独り言

脳内エキセントリック

宇宙を考えることで時代を遡る平安神宮の奉納演奏

2019 9/13〜15、スリーデイズの平安神宮奉納公演、今年も愛溢れるとても素敵な時間だった。人生の中で忘れられない瞬間、というものをまた多く作ってもらえた。

これらの記憶は時が経つと共にどんどん美化されていき、そして私を構築するものへと昇華されていく。

 

テーマが発表される前の1日目。

私は今回のテーマはきっと「追悼」なんだろうなぁと自己解釈していた。ちっとも進歩して行かない人間…地球人たちへの諦観と切り捨て、身体という入れ物をなくした人間、動物、死せる者達への温かな別れ。

テーマが2日目に「宇宙、命、感謝」だと発表されて、あながち私の解釈は間違っていないのだと感じた。

 

私が精神科の主治医とカウンセリングで毎回話す内容である「自分を知ることの大切さ、自分を持つことの大切さ」を最後の説法で語る堂本剛

この人はとっくに自分を理解して、そうやって自分を持って人と相対しているからこその、愛溢れる対応や深い見解を話せるのだな…と納得した。私もいつかあのレベルにまで達することができるのだろうか。

まだまだ遠いけど、自分を肯定してあげられる日が来ればいいと思う。誰に何を言われても曲げられない芯を持って剛さんに会いたいな。また見える景色や話している内容への理解が大きく変わってきそう。

 

ところで今回のテーマでもあった「宇宙」の話。宇宙というとSFやニュースなどではどうしても未来の話、とされがちだけれど、私は過去の話をしていると感じた。

想像力を最大限に生かして、この星の外にいる存在へとアンテナを張る。

宇宙人の話は古事記土偶など、日本史にも多く登場するし、ちらちらと痕跡も遺されてきている。

奈良人である剛さんにとってそれはきっと当たり前の話で、これまではわざわざ口に出すまでもないことだと思ってきていたんじゃないかな。FUNKというものに傾倒していった末に辿り着いたのだというのも勿論あるだろうけれど。

でもね、まだ、宇宙人の話をするときの剛さんは「どこか馬鹿にされるんじゃないか」と構えている節があると思う。我々ファンに向かって話す時でさえ、たまに茶化していたから。大丈夫だよ、剛さんが言いたいことは伝わっているよ、理解できているよ、と心の中で何度も声をかけた。

10年後、というのは少し早いかもしれないと思ったけど、既にこの地球に宇宙人がいるのかもしれない。それこそ縄文時代からいたのかもしれない。

そう考えるとさ、宇宙というものは確かに現実的なものなんだよね。

"PAST"と"FUTURE"が絡み合っていた。過去と未来を繋ぐ"現代"の私たち。使命を全うして、ちゃんと人間をしていこう、と強く決意した。

 

今回新たに発表された、例の新曲。

セトリの中でも全く毛色が違うあの曲は、やはりジャニーさんへ宛てられた曲なんだろうね。どちらかといえば剛さんが「歌いたくない」とこれまで言ってきていたような曲調。

LOVE XXXみたいな…。"The Johnnys"というような曲だったよ。この曲中、剛さんは天を仰ぐ事が多く、宙へと手を伸ばす頻度も高かった。

ミルキーウェイを越えたらまた会えると思っていた」という歌詞があったのだけれど、あれは天の川と三途の川をかけていたのだと冷静になってから理解して、落涙した。まさに宮沢賢治

剛さん日本文学にまで造詣が深いの…?

意図していないのだとしたら文豪の気があるのでは、堂本剛。素敵すぎる。愛が溢れる。

 

個人的に感慨深かったのは、やはり「音楽を終わらせよう」かな。

2016年では"怒り"というテーマで奉納されたこの曲は、2019年になった今では"愛"というポジションで演奏された。

怒りを愛へと昇華させる事の難しさは人間をしていれば分かる事。それを成し遂げた堂本剛の3年間の成長を目の当たりにして、感極まった。たった3年、たった3年でピンと張りつめた緊張感溢れる曲はとても優しい愛が詰め込まれた曲に生まれ変わった。私はそれがとても嬉しかった。

「この意味がわからない怖さから解かれよう、一緒に行こう」とまるで語りかけるかのように噛み締めて歌う剛さんに、救われる心地だったなぁ。

私が病気を患ってからずっと、意味がわからない怖さ…というのは常に付き纏う物だったから。意味のない焦燥感、意味のわからない恐怖感。

私は(自分で言うものでもないけど)情緒が豊かすぎて生きにくい事が多い。でもそれは剛さんと私の共通点でもあって、彼が綴る詩を深くまで解釈できる点は、嫌いじゃない。

特にグッと来たポイントは「形じゃない愛というものを」で私たちオーディエンスに向けて手のひらをかざし、「言葉じゃない愛というものを」でそのかざした両の手を心臓の上へときゅっと引き寄せた剛さんのその所作。気持ちはちゃんと伝わっているよ、と言われているかのようで、切なくなった。常に剛さんへ向けて、愛を飛ばしていたから。

 

今年の平安さんは、例年に比べていい意味で空気が張りつめていなかったよね。

宇宙へと我々を連れていくような、手を引いてくれているかのような1時間30分だった。バンドメンバーががっちりと脇を固めてくれているから、剛さんは好きに音を鳴らして、我々の意識を自在に操った。

セッションでは普段頑なに晒さないようにしている心の柔い部分にまで触れられて、たまらなかった。魂と魂が繋ぎ合わされ、リンクして、彼ら彼女らの考えている事が直に頭に流し込まれるかのような感覚を覚えた。

そうして丁寧に丸裸にされた心を、私も構える事なく、安心して差し出す事が出来た。

普段の生活では絶対にできない無防備さを晒せて、快感だった。これだから私は強く惹かれてしまう。

 

初日、曇天に支配されていた平安神宮

けれど奉納演奏が始まると、中秋の名月がハッキリと顔を覗かせた。目前に広がるどのライティングよりも存在感があって、温かくて。人間の手によって作られるステージももちろん素敵ではあるけれど、自然がもたらしてくれる感動にはまだまだ敵わないのだと気づいた。

あれだけレーザー光線やライティングを施しても、背後から差し込むお月さまに魅了されて仕方がなかった。

 

1日目と2日目に合同参拝が無かったのはきっと喪に服しているのだと思っていたけど、最終日には合同参拝があったね。

「平和、平穏、平安を願って」と神様に頭を下げてくれるその姿勢に、更に頭が下がった。いつもありがとう、愛しています。

 

気づきへの催促が随所に散りばめられていた本公演、考え方を少し変えれば日々がまるで変わったかのように見えてくるのだという。

ならば私は、次に堂本剛に会う日まで、毎日を噛み締めて生きていこうと思う。

 

剛さんがもし宇宙人とバンド組む日が来たら、たくさんたくさん通うからね。