最後の自担、KinKi Kidsに改めて心臓を捧げた話
2019年12月14日。
待ちに待ったKinKi Kidsの、王者の凱旋…。東京ドーム入りした時のどうしようもない胸の高まりを落ち着ける術を知らない私を待ち受けていたのは、オケコンのサウンドを使った噴水ショーだった。
ドームの膨らみを保つために調整されている気圧が鼓膜を押した感覚に若干の不安を持ちながらも鼓動の高まりは素直で、手荷物検査を受けている時から半泣きに近い状態でボルテージは既にマックス。
私は緊張すると極端に黙り込むか多動になる方だから、連番してくれる子にはいつも感謝しかない。
最後の噴水ショーが終わり、ジッとステージを睨んでいると、バンッ!と客電が落とされた。
実際にはそんな音を立ててはいないのだろうけれど、私にはやたら大きな音が響き、そしてその音が余韻となり、開演へと手を引くものになったような気がした。
暗転して、数秒。赤と青のネオンの海。
聴きなれすぎた、そのイントロ。「愛のかたまり」
耳にした瞬間、身体の芯の部分から震え出し、ボロボロと、自分では制御できないところを刺激されて涙が溢れた。人間は感極まると震える…だなんて知った気ではいたけれど、私の人生においてあそこまで震えたのは初めての体験だったように思う。
それは理性的、という言葉から1番遠くにあるものだった。呼吸が乱れ、心臓が早鐘を打ち、そして大量のアドレナリンが放出されて…誇大無しに膝から崩れ落ちそうになった。声にならない悲鳴が嗚咽となった。震える手で必死に肩からかけたウィアキンのタオルを握りしめた。顔の中心から体温が上がり、ぶわりと耳まで血が通った感覚がリアルに感じられた。
あの高揚感といったら、中々に筆舌し難い。感情の渦にぐるぐると巻き込まれていくのが酷く心地よく、そして1曲目に持ってきたその合作があまりに憎らしく…。私を捉えて離さなかった。
2年越しにステージに肩を揃えて立つふたり。まさしくそれは、「変わっていく あなたの姿 どんな形よりも愛おしい」を視覚化したかのようだった。夏を越え、冬を越え…。思考錯誤しながら導き出した最適解。キラキラと輝くふたりはまた1つ、表現の幅を広げた。
涙に溺れていると、1曲目が終わった。
ぐずぐずとした泣き声で思わず「おかえり」と声に出していた。鼻にかかった自分の声が耳に届いて、あっ、自分今つい気持ちを声に出したな…と気づいた。心臓の上でぎゅっと丸めた手に力がこもっていて、切なくて仕方がなかった。
本能的に発声された声に応えるように、次の衝撃がやってきた。2曲目、「The Red Light」。
これまた頭が混乱を極めた。え…?レッライ?この曲…レッライ?……レッライ?!といった風に。
オケコンの記憶がまだ抜けきっていない頭に手伝って、噴水ショーはあの調子だったし、おまけに今回のグッズでもペンラ無し。これらの情報から完全に私の頭はオケコンのリベンジ戦だと勝手に思い込んでいたから、この選曲には度肝を抜いた。それまで涙のせいでぼやけていた視界が一気にクリアになり、思わず天を仰いだ。
これは反則です。
だって1年前まではギター弾きながら歌うことが難しいって言ってたじゃない…。横アリでさえ若干苦しそうな顔をしていたじゃない……!それなのに何故、何故そんなにカッコよく汗すら流さずにシレッとギターを弾きながら歌ってるの?!えっ、光一さん、踊ってる……。嗚呼これは薔薇と太陽を彷彿とさせるようなフォーメーション…。そんなまさか…、これ現実ですか??確かに私は別の世界線では既にレッライが披露されていると常々言ってきましたが、ついにこの世界線でも…?
いやいやいやいや、私は2度とこの曲は聴けないだろうと思っていたのに。パフォーマンスされる事はないだろうと覚悟して気持ちを押し殺してきたのに。そんな…いとも簡単に私の心の奥底に仕舞った感情を引っ張り出してくる…?
完敗です。勝負なんか始まる前から捨てていましたがこれはもうどうしようもない。今年のKinKi Kidsは杞憂さえも抱かせてくれないような時間をくれる。私は2曲目にして早々とそう確信した。
ドーム前の私はこんな記事すら書いていたのにここまで前を向かせてくれるとは凄まじい。
KinKi Kidsから担降り出来ませんでした - 陰鬱な独り言
やはり個々として確立されているもの同士がグループに帰ってきたときにそれぞれの経験値を還元して、そして愛を注ぎ合うその姿は美しいよな…。
元来私は自分の人生においても運命論者の自覚があるからKinKi Kidsにおいても遺憾無くそれが発揮されているけど、ふたりの関係性が素晴らしすぎる。
ドームを内側から破裂させる勢いで彼らに向かって放たれている愛も、そしてステージからひとりひとりに手渡しされているかのような丁寧に包まれた愛をいただくのも、最高すぎた。
ニコイチ、という単語が揶揄いからくるあまりよろしくない類の言葉だとは知っているけれど、そう呼ばれてもいいかな…と思えるぐらいにはKinKi Kidsのことを好きな自分がまだ、生きてた。
続いて3曲目の「lOve in the φ」
この曲には根強いファンがいる事をふたりは知っていて選曲したのかな?と勘繰ってしまう。
音ハメばっちりの光一さんのダンスに、ふたりの声に重なるコーラスの声が心地いい。オタクたちのペンラ芸も炸裂。私の周りでもこの曲の披露を熱望している人が数人いたけど、まさか本当にやってくれるとは。
以前に光一さんが言っていた「お前たちのして欲しいことはよく知ってる。でも俺は敢えてそれをしない」の言葉がリバーブを強めにかけた状態で頭の中で響き渡った。なるほど、これは確かにバレてる…。手のひらの上でコロコロ転がされてる。それでもいい……。えっ、もしや剛くんも私たちのこと分かってる……??愚問でした。当たり前だよね。
4曲目、「雪白の月」はこの冬特に改めて聴く機会が個人的に増えていたから沸いた。
この曲、ハモリと主メロが目まぐるしく変わっていくし、王道のバラードだから歌える人は化け物だよね…と独り言を零していたのだけれど、これもまさかの選曲…。
KinKi Kidsはこの冬、諦めを選んでいた私に希望を多く持たせてくれた。もう聴けないだろうアッパーな曲。もう踊ってくれないだろうと踏んでいたところでふたり同じステップ。KinKi KidsがKinKi Kidsでいることの諦め方を知らなかったからこその今回のドームコン。彼らの意地、彼らの博打。そして彼らの努力の結晶。それらが実を結んだ瞬間を冒頭4曲でぎゅぎゅっと凝縮して魅せてくれた。たまらない。これだからKinKi Kidsは。
ところで、グッズでペンラが出なかったのに、赤と青に綺麗に波打つ客席は紛いもなく愛でしかなかったね。正直あそこまでみんながペンラを持つとは思わなかったから感動したなぁ。
私も曲の色によってペンラの色を変えていたんだけど、一体感が破茶滅茶に気持ちよかった。
みんな一応持って行こうかな?の精神だったのかな。私はそうだった。周りが振るなら振ろうかな〜、程度の気持ちだったけど、あれはペンラを持って行って正解だった。
さて、ここでMC。
小気味のいいMCはKinKi Kidsらしさがたくさん詰まっていて、そして両手では持ちきれないほどの愛が詰まっていた。
"2年ぶり"という事を随所随所で心底嬉しそうに舌に乗せてくれたふたり。きっと立ちたくてもドームに立たないもどかしさに苛まれていたのは誰よりも当人たちだったはず。だから、私たちとふたりの気持ちが重なって、気持ちが最高潮に昂ぶった状態で会えたのが嬉しかった。
リラックスをしようと意識してドキュメンタリーやら通販番組やらを観てリラックスしすぎた結果コンタクトをしてくるのを忘れてきたのには笑った。堂本剛、何回コンサートでコンタクトのつけ忘れをすれば気が済むのか……。可愛い。そしてその話を私たちに背中を向けて聞く堂本光一。
お家芸、相方正面……!!
ありがとうございます、ケツでも見ておきます。あれだけ私を泣かせておいて震わせておいてMCではニコニコさせるというのはどういった魔法を用いているのでしょうか?MC中に「情緒不安定か!」という突っ込みが飛び出たけど、私も自分のことそう思った………。
初日はここのMCが押しに押しまくってたせいでスタッフさんが慌てながらインカムで話してる様子も目撃されてたね。
KinKi Kids、ここ数年はMC時にタイマーが付けられていた筈だけど、今回はそれがなかったのかな?そしてモニターに「次の曲いきましょう」と出される…と。
うん、清々しいまでにKinKi Kids!
「まだ、まだカッコいい曲やります…!」と笑いながらMCを切った光一さん。その宣言通りに5曲ぶっ通しのメドレー形式。
曲目は「Bonnie Butterfly」「LOVESICK」「SNOW!SNOW!SNOW!」「Want You」「Give me your love」の順。
悪い遊びを教えてもらったし、サヨナラ以外のすべて怖くはないって心から思えたし、ふたりの愛を隠せやしないし、Want Youだし、もう誤魔化さないでほしかった!
息つく間もない圧倒的な"コンサート"感!怒涛のオタク殺し選曲。止まらないダンス。腰振り…。
思い残すことがまだあっただろうか?いや、無い。
MCのおふざけが身を潜めて、顔つきが変わるあの瞬間。笑いからシリアスへの落差。これもまた、KinKi Kidsの醍醐味。可愛いのかっこいいのどっちが好き?っていう無粋な質問すらしてこないでどっちも与えてくれるのがKinKi Kids。
興奮冷めやらぬ中、メインMC。
個人的にサブMCとメインMCの間隔が短く感じたのだけれど、これは剛さんの耳を配慮しての配置だったのかな?と思う。少しでもクールダウンさせるためのMC。
それでもMC中でも頭はフル回転だろうから、本当に剛さんのしていることは凄い。誰も認めてくれなくても私が褒め称えるから安心してね。
「ディレイタワーを建てたから、見にくい所もあると思うけど…ごめんね」と口にした剛さん。その、ごめんねと言う声音が優しくて、本心からの気遣いを感じられて堪らなかった。どこまで優しいんだろう、この人は。
と、思っていたら「一律同じ料金ですので!」と声を大にして言う光一さん。バランスが取れてて、もう〜〜…!そういうのに弱いからやめてほしい。カバーしあって生きてきたんだよね、お互いに…と頭を抱え出しそうになる衝動をぐっと抑えて、双眼鏡を覗いた。
ケツしか見えなかった(2度目)。
「さて、次からは全力で大人がふざけますよ!」と言い出したふたり。疑問符がたくさん浮かんでいたこの時の私は、まだこの後にとんでもないものが待ち受けているとは…知らなかった……。
KinKi Kidsらしい、社長への追悼。軽快なノリで思い出を語り合うふたりは、どこまでもふたりぼっちだった。こういう形を取れるのはどこを探してもKinKi Kidsだけだよ。
下手すればディスりに聞こえちゃう言葉たちには、けれど確かな愛が端々に散りばめられていて胸が熱くなった。
「ちょっと何これ〜!入れないじゃない!ばい〜〜ん!!」のくだりとかめっちゃ笑った。ドームの天井に負けるジャニーさん。そして天国へ跳ね返されるジャニーさん。
小芝居を挟みつつ、でも急に「まだどこかにいるんじゃないかと思ってる節がある」なんて言い出すものだから…。そりゃそうだよね、親よりも長い間一緒に生きてきた人だし、羽根を授けてくれた大きな存在だもの。全てを受け止めるまでには時間がかかるよ。
でもこうやって思い出してくれる時間があるだけで人は嬉しいのだと思う。そしてその気持ちはちゃんと伝わってる筈。
「次の曲ではこういう振り付けをしよっか、うーん、サビはこれで、サビ以外はこれ。本気でやったら相当大変だと思う」
「「それでは地獄を見てください」」
全力でふざけます、と言い出した彼らが次に歌ったのは「たよりにしてまっせ」「買い物ブギ」、そして剛さんによるファンキーな新曲「KANZAI BOYA」にBアルバムからの「ボーダーライン」。
なるほど、合点がいった。そして脈々と流れているジャニーズイズムを感じた。とことんかっこよくて、そして最高にアガった。
振り付けをレクチャーされた「たよりにしてまっせ」は日毎にその場の思いつきで振りが変わるのかな?東京では14日と15日で全く違う振り付けになってた。
地獄を見せてくる系アイドル、爆誕。
買い物ブギは音源化してくれてても良かったのにね〜〜。相当好きな曲だし、おっさんおっさん!の掛け声が楽しいから好き。この辺でもちらちらとMCが挟まれるんだけど、流石にここのMCはまだ京セラもあるから伏せておくね。買い物ブギの後の光一さんのMCが可愛かった…。そして鬼教官だった……。
「KANZAI BOYA」は桃をやるはずだったのに急な閃きがあったので急遽曲変をしたのだそう。これまた天才的な曲を作り上げたよ、堂本剛……。来年のシングル本気で私はこれでいいと思ってるし、光一さんも乗り気だったし、剛さんもイイって言ってるんだからコレでよくない?KinKi Kidsとオタクが頷いてるんだからお願いします。待ってるからね。
「ボーダーライン」はもうみんながトレンドで知ってる、例の「とんこつ味!」遊びの曲。サンプラーできゃっきゃと遊ぶ剛さんと、気恥ずかしそうな光一さん。尊いの権化。いつまでもそのままでいてね。
あまりに歌っていなさすぎて、譜割りがわからず2日ともごちゃっとしたのはご愛嬌。
ボーダーライン後のMCはふたりしてサンプラーをぽちぽちしながらKinKi Kidsの世界。あれ…?これ私たちまた置いてけぼりにされてない……?ありがとうございます!この空気感、大変愛おしい。
「これがあるといつまでも遊んじゃうから、早くどけて!」と言うとササッと俊敏に現れるスタッフさんに笑った。長引くとわかっていたからずっとその言葉を待って待機していたのだと思うとなんだか可愛い。よかったね、と目尻が下がる。
ケラケラ笑いながらサンプラーをいじり倒した後、急に真顔になって「次からは真剣に歌いますから」「歌い出したら真面目です」のやり取り。そう、これが見たかった!天から地へと叩き落とすKinKi Kids。このやり取りを聞いた時、本当に帰ってきたんだなぁとしみじみした。あんまり理解されないかもしれないけど、その高低差がふたりの本質な気がしていた。0か100か…みたいな。そこにオタクも強制的に引き込んでいく強引さがあるのに、何故かそれが心地いい。
真面目と言われて真っ先に出てくるのはニューシングルの「光の気配」。これまたよかったんだよな…。あれだけ笑っていたのに15日はここから泣きモードに入った。それはもう大分長い泣きモードに。
14曲目の「光の気配」、聴けば聴くほど味が出てくるスルメ曲でとっても好き。歌詞も心臓に突き刺さる鋭さを持ちながらも、タイトル通りに光の気配がする曲。生で聴くとその哀愁が今のふたりと重なって、呼吸が詰まった。
光の気配でそれだけ涙したのに、畳み掛けてくるようにそこから合作メドレーへと続いていく。
「銀色暗号」「恋涙」「Topaz love」の珠玉の名曲。彼らの手によって生み出され、そして沢山の想いが込められている曲たち。個人的に思い入れがある曲もあって、ここでも涙が枯れるのではないかと言うほど、泣いた。
剛さんの不安要因を綺麗に取り除いているような入り方をしていた曲もあった。ここのメドレーは聴く人によって随分と解釈が変わってくるのではないだろうか。ちなみに私の解釈はまだ、固まっていない。
ただ、繰り返しにはなるが、ニコイチ宣言をここでしてもいいぐらいには、ありとあらゆるものを奪われた。泣き腫らした瞳で出社することになった。
剛さんに「あなた目掛けるネオンが綺麗」を考えてみたらあの夏は液晶の向こうにいて、オケコンでは着席ペンラ無し。ようやく「誰か愛するネオンは綺麗」を見せてあげられたんだなぁ…とぼんやり。視覚から入る揺れが三半規管に影響を及ぼすのかな、とちらちら危惧していたりもしたけれど、魅せてあげられてよかった。
ここから、終わりへと向かってラストスパートがかけられていく。
18曲目の「Kissからはじまるミステリー」は合いの手が出来て嬉しかったし、19曲目の「硝子の少年」ではようやく泣きモードが明けそうに。
そして20曲目の「薔薇と太陽」。炎の特効がステージを彩り、今回のコンサートで多用されているフォーメーションの生みの親となった曲なだけに感慨深かった。この曲の持つ渋さと艶やかさは何なんだろう。ここで走馬灯のように過去の記憶がバババッと呼び起こされた。
「薄荷キャンディー」で友人が泣き崩れるのを視界の端で捉えて、人によって響く曲はやはり違うことを再度確認してから…。
ラスト、22曲目の「Harmony of December」。
この曲もジャニーさんが名付けてくれた曲です、という光一さんの前振りを聴いて、そっと身体を柔らかでいてどこか物悲しいハーモニーに預けた。
12月になれば必ずこの曲を聴く、というオタクも多いんじゃないかな。私もそのうちのひとり。絶対的な社長が天に昇ってから、初めての冬。
「君に会いたい」で視線を宙へと舞わせ、優しく差し出した手をふわりと動かす剛さん。そして、その横で普段通りに歌う光一さんの対比。強さと脆さ、儚さとしぶとさ。KinKi Kidsが、そこには居た。冬の王者、KinKi Kidsがそこにいた。
このことを正しく理解して、何回目かの「おかえり」を心の中で唱えた。
「おれたち…」と言って、隣を見る剛さんに、意図を理解したかのように手を挙げる光一さん。
「「俺たち、KinKi Kids!」」久しく聴いたその掛け声は5万5千人を熱狂させるのに十分すぎる威力を持っていた。
正直アンコールの記憶は、自分だけのものにしておきたい。
冷静になりつつある今、1つ言えるのは、先週の土日の自分が羨ましすぎるという事。KinKi Kidsが帰ってきたことを会場のどよめきと悲鳴で肌で感じて、ただひたすらに嗚咽しながら震えるしかなかった自分の記憶がすでに美化されつつあるという事。慌てて筆をとるぐらいには、リアルなまま、刻んでおきたかったという事。
愛以外のものを極力削ぎ落としたようなコンサートに参加できてよかった。「思うこと色々あれど、このステージからお伝えしたかった」と言ってもらえるような対象でいられている自分が、少しだけ誇らしい。
おかえり、KinKi Kids。
君が気になってしまうよ
こんばんは、久々にブログを更新します。
と、いうのも。今日はプレゼンしたいことがあって筆を取りました。
何を隠そう、私の最初で最後の自担である堂本剛と私の生涯の推しである平手友梨奈の親和性を皆さんに伝えたい。
私は常々、「堂本剛にどっぷりな人は平手友梨奈にもずぶずぶハマるよ」って言ってるんだよね。
10代前半で芸能界入りしたという共通点を持つ2人。お茶の間に初めて姿を現した彼ら彼女らは、どちらかというと元気いっぱいでひょうきんなキャラクターだった。
それが年々雲行きの怪しい方へと流れていき、前髪でカメラから視線を隠すようになる。
向こうからは見えているけれど、こちらからは覗き見ることができない表情。
アイドルはキラキラしたものでなくてはいけない、という暗黙の了解を真正面からブチ破っていくその姿勢。
欅坂46というのは「笑わないアイドル」と言われているぐらいにはクールで一風変わったパフォーマンスをするのだけれど、その中でも平手友梨奈は群を抜いている。
彼女は今、18歳。
剛さんが最もパニックに苦しんだのと同世代ということになる。
少し前の画像になるが、下の画像を見てほしい。
言いたいことが分かるかな。
そう、2人とも全く同じ瞳をするの。
今では不動のセンターとされる平手友梨奈にも、選抜発表で涙ながらに意気込みを語る…という時代があった。
身内からも世間からも期待される重圧は私にはとてもじゃないけど計り知れない。
実際、秋元康が彼女に宛名書きした楽曲は鬱々として重たく、それは最早、儚さとは形容できない鋭い歌詞の連続ばかり。
そんな平手友梨奈。数年前には心因性で声が出なくなったり、パニックのきらいが見られたりとオタクの中では何かと彼女の機嫌を伺ってしまう習慣がついてしまった。
さて、堂本剛はどうだろう。
1番いまの彼女と重なるのはFコンだろうか。もしくは初のソロコンかな。
オタク的にもしんどかったコンサート。それでも彼の歩みから目をそらすことなんて、出来なかった。
パニックを拗らせ「死にたい」の域にまで達していた堂本剛は、今では音楽という救いを見つけ、心から気を許せる仲間と出会えた。とても喜ばしい。本当に。
今ではテレビの前でも緩いトークを展開し、弾けるような笑顔を見せてくれることも多い堂本剛。
けれど平手友梨奈は違う。久方ぶりに冠バラエティに姿を現したかと思えば、ひな壇の端の方で控えめにリアクションを取るだけ。
これは、自分が普段センターで目立っているから、トークでは他の人を立たせるという彼女の心遣いからきている。
元来の性格でトークが苦手というのも勿論あるのだろうけれど。どちらかといえば彼女は進んで人前に出るタイプではない。
その日によってパフォーマンスにムラがある事、音楽番組やライブへの突然の不参加、そして不貞腐れてるとも取れるような態度から、敵が多い彼女。
でも欅坂46に対する愛情は人一倍強い。初期の頃のインタビューやブログ、フロント入れ替え制度などを見てもらえれば顕著にその愛が現れているのでよくわかると思う。
それは欅坂46のメンバーもよく理解している事。…だと願いたい。この辺は願望。
だから彼女のピンチの時には代理センターを立て、みんなで力を合わせてその場を切り抜ける…というカタチを最近は取っている。
そして、代理センターを務めた面々が必ず口を揃えてこう語る。「平手友梨奈が背負っている重圧が感じられた」と。「真ん中に立つことの重要さを理解できた」と。
時には涙しながら。
敵の多さ、という話で言えば堂本剛の粘着質なアンチはスルーできない。
解散祈願、を常に願っている連中は度々過去の話題を引用しては彼を叩き、最近の決まり文句は「病気ならやめちまえ」に限る。
この辺の話は意図してシャットアウトしてい為、細々書きたくないので省略するが、つい先日の「今日は一日KinKi Kids三昧」で明らかになったセトリ決めの話だけでも、2人の絆は確認できる。
堂本剛が耳を患っても音楽をやめなかったのは、彼がそういう人種だからなのだと解釈している。
でも、グループ活動を続けているのは?「物足りないものになるかもしれません」と最初に注釈を入れておきながらもコンサートに臨むのは…?それはKinKi Kidsを愛しているからなのではないだろうか。
平手友梨奈が欅坂46を愛するように、堂本剛もKinKi Kidsを愛している。どれだけたくさんの心無い言葉を投げかけられ、幾度となく傷つきながらも。
身体を壊し、心を壊し、それでもステージに立つ。
その背中を見て、或いは隣に立って、もげそうに…もがれそうになる羽根を守る存在がいる。
時に「解散説については触れなくていいんですか?」等のぶっ込み発言をして、誤解されやすく、自分を殺しやすい彼ら彼女らの"悪意からの避雷針"を担う人物が側にいる。
平手友梨奈には21人、ないし26人の戦友が。
芸能界に向いていないと自覚しながらも、そこで煌めいてくれる2人の生き様は生々しく、時に泥臭く、それでも唯一無二の輝きがある。それはそれは私を惹きつけて止まない、脳みその中では整理がつかないほどの魅力がある。
平手はまだ18歳。人生において1番多感で、情緒が安定しない年頃。
2人をどうしようもなく愛して、追っかけている私は、2人の会合がどこかで果たされればいいのにな…と思っている。同じ職業で、きっと同じ悩みを抱えてきたであろう剛さんに、平手の心の奥底に秘めている悩みを1度聞いてあげてほしい。感受性の豊かさが足枷となっている現状を打開するアドバイスをしてあげてほしい。
これはオタクとしての私の夢でもあります。
少し話が逸れました。
それで?結局何が言いたかったの?と言うと、やはり最初に述べたことを繰り返すことになる。
大型音楽番組ラッシュが始まる師走。
もしもふと、欅坂46がパフォーマンスをしている姿を見かけたら、この記事を思い出して欲しい。
宇宙を考えることで時代を遡る平安神宮の奉納演奏
2019 9/13〜15、スリーデイズの平安神宮奉納公演、今年も愛溢れるとても素敵な時間だった。人生の中で忘れられない瞬間、というものをまた多く作ってもらえた。
これらの記憶は時が経つと共にどんどん美化されていき、そして私を構築するものへと昇華されていく。
テーマが発表される前の1日目。
私は今回のテーマはきっと「追悼」なんだろうなぁと自己解釈していた。ちっとも進歩して行かない人間…地球人たちへの諦観と切り捨て、身体という入れ物をなくした人間、動物、死せる者達への温かな別れ。
テーマが2日目に「宇宙、命、感謝」だと発表されて、あながち私の解釈は間違っていないのだと感じた。
私が精神科の主治医とカウンセリングで毎回話す内容である「自分を知ることの大切さ、自分を持つことの大切さ」を最後の説法で語る堂本剛。
この人はとっくに自分を理解して、そうやって自分を持って人と相対しているからこその、愛溢れる対応や深い見解を話せるのだな…と納得した。私もいつかあのレベルにまで達することができるのだろうか。
まだまだ遠いけど、自分を肯定してあげられる日が来ればいいと思う。誰に何を言われても曲げられない芯を持って剛さんに会いたいな。また見える景色や話している内容への理解が大きく変わってきそう。
ところで今回のテーマでもあった「宇宙」の話。宇宙というとSFやニュースなどではどうしても未来の話、とされがちだけれど、私は過去の話をしていると感じた。
想像力を最大限に生かして、この星の外にいる存在へとアンテナを張る。
宇宙人の話は古事記や土偶など、日本史にも多く登場するし、ちらちらと痕跡も遺されてきている。
奈良人である剛さんにとってそれはきっと当たり前の話で、これまではわざわざ口に出すまでもないことだと思ってきていたんじゃないかな。FUNKというものに傾倒していった末に辿り着いたのだというのも勿論あるだろうけれど。
でもね、まだ、宇宙人の話をするときの剛さんは「どこか馬鹿にされるんじゃないか」と構えている節があると思う。我々ファンに向かって話す時でさえ、たまに茶化していたから。大丈夫だよ、剛さんが言いたいことは伝わっているよ、理解できているよ、と心の中で何度も声をかけた。
10年後、というのは少し早いかもしれないと思ったけど、既にこの地球に宇宙人がいるのかもしれない。それこそ縄文時代からいたのかもしれない。
そう考えるとさ、宇宙というものは確かに現実的なものなんだよね。
"PAST"と"FUTURE"が絡み合っていた。過去と未来を繋ぐ"現代"の私たち。使命を全うして、ちゃんと人間をしていこう、と強く決意した。
今回新たに発表された、例の新曲。
セトリの中でも全く毛色が違うあの曲は、やはりジャニーさんへ宛てられた曲なんだろうね。どちらかといえば剛さんが「歌いたくない」とこれまで言ってきていたような曲調。
LOVE XXXみたいな…。"The Johnnys"というような曲だったよ。この曲中、剛さんは天を仰ぐ事が多く、宙へと手を伸ばす頻度も高かった。
「ミルキーウェイを越えたらまた会えると思っていた」という歌詞があったのだけれど、あれは天の川と三途の川をかけていたのだと冷静になってから理解して、落涙した。まさに宮沢賢治。
剛さん日本文学にまで造詣が深いの…?
意図していないのだとしたら文豪の気があるのでは、堂本剛。素敵すぎる。愛が溢れる。
個人的に感慨深かったのは、やはり「音楽を終わらせよう」かな。
2016年では"怒り"というテーマで奉納されたこの曲は、2019年になった今では"愛"というポジションで演奏された。
怒りを愛へと昇華させる事の難しさは人間をしていれば分かる事。それを成し遂げた堂本剛の3年間の成長を目の当たりにして、感極まった。たった3年、たった3年でピンと張りつめた緊張感溢れる曲はとても優しい愛が詰め込まれた曲に生まれ変わった。私はそれがとても嬉しかった。
「この意味がわからない怖さから解かれよう、一緒に行こう」とまるで語りかけるかのように噛み締めて歌う剛さんに、救われる心地だったなぁ。
私が病気を患ってからずっと、意味がわからない怖さ…というのは常に付き纏う物だったから。意味のない焦燥感、意味のわからない恐怖感。
私は(自分で言うものでもないけど)情緒が豊かすぎて生きにくい事が多い。でもそれは剛さんと私の共通点でもあって、彼が綴る詩を深くまで解釈できる点は、嫌いじゃない。
特にグッと来たポイントは「形じゃない愛というものを」で私たちオーディエンスに向けて手のひらをかざし、「言葉じゃない愛というものを」でそのかざした両の手を心臓の上へときゅっと引き寄せた剛さんのその所作。気持ちはちゃんと伝わっているよ、と言われているかのようで、切なくなった。常に剛さんへ向けて、愛を飛ばしていたから。
今年の平安さんは、例年に比べていい意味で空気が張りつめていなかったよね。
宇宙へと我々を連れていくような、手を引いてくれているかのような1時間30分だった。バンドメンバーががっちりと脇を固めてくれているから、剛さんは好きに音を鳴らして、我々の意識を自在に操った。
セッションでは普段頑なに晒さないようにしている心の柔い部分にまで触れられて、たまらなかった。魂と魂が繋ぎ合わされ、リンクして、彼ら彼女らの考えている事が直に頭に流し込まれるかのような感覚を覚えた。
そうして丁寧に丸裸にされた心を、私も構える事なく、安心して差し出す事が出来た。
普段の生活では絶対にできない無防備さを晒せて、快感だった。これだから私は強く惹かれてしまう。
初日、曇天に支配されていた平安神宮。
けれど奉納演奏が始まると、中秋の名月がハッキリと顔を覗かせた。目前に広がるどのライティングよりも存在感があって、温かくて。人間の手によって作られるステージももちろん素敵ではあるけれど、自然がもたらしてくれる感動にはまだまだ敵わないのだと気づいた。
あれだけレーザー光線やライティングを施しても、背後から差し込むお月さまに魅了されて仕方がなかった。
1日目と2日目に合同参拝が無かったのはきっと喪に服しているのだと思っていたけど、最終日には合同参拝があったね。
「平和、平穏、平安を願って」と神様に頭を下げてくれるその姿勢に、更に頭が下がった。いつもありがとう、愛しています。
気づきへの催促が随所に散りばめられていた本公演、考え方を少し変えれば日々がまるで変わったかのように見えてくるのだという。
ならば私は、次に堂本剛に会う日まで、毎日を噛み締めて生きていこうと思う。
剛さんがもし宇宙人とバンド組む日が来たら、たくさんたくさん通うからね。
KinKi Kidsから担降り出来ませんでした
私は、1度にあれもこれも愛せるほど器用な人間じゃない。
寄りもガンガンにあるし、過去に愛してきたグループにおいても私は、そのグループ内の1人に極端に愛情を傾けて注いできた。それが私の応援スタイルで、でもそれは単に不器用だからそうなっているのかな、という気もする。もう少し器用だったら違っていたかも。
これを言うと「ならオンリーなんだね」って言葉で終わらせられがち。結構難しい所かも。私は私の事をオンリーだとは思っていないけど、見る人が見たら確実にオンリーに見える。
そもそもオンリーかどうかなんて他者が他者を形容する言葉にすぎなくて、そんなラベリングをされてしまう事が不本意。均等に愛を贈れなければ、全てを否定されてしまうこの界隈が、少し悲しい。
応援をしていて、追っかけをしていて。自分の中で何か引っかかるアクションがあると、自分の中の"好き"達がハイタッチをして最前線を交代するような感じが昔から自分の中である。
堂本剛のライブがあればKinKi Kids担の自分は奥へと潜んでいくし、音楽番組があれば、或るいはコンサートがあれば、その逆が起こる。
思えばここ最近はグループとしての活動が無かったから、その交代を意図してさせないようにしていたなぁ。曲を聴かないようにしていたり、過去の雑誌をうっかり読んで焦れるような事がないように…と。冬が厳しすぎて、思わず自衛していた。
そんな折、テレ東音楽祭の告知があった。
ぽん、と突然出されたその音楽祭の出演案内は、必死に封印していた気持ちを爆発させる程の威力があった。音楽番組にさえも出てくれないかもしれないと思っていたから、わかりやすく気持ちが上がった。"堂本剛のツアー中"という私の中で超強力で絶対的なモノを前にしても、ハイタッチが行われた。
とってもとっても期待をして、満を持して迎えた6/26。
結果から言えば、私は絶望を抱えた。
KinKi Kids担として久しぶりに泣いた。今後、どうやってこのグループを応援していったらいいのか本気でわからなくて、この調子だと「今年もKinKi Kidsとしての活動はありません」と言われてしまったような気がして、前後不覚に陥った。
空気がとても冷たくて、張り詰めていて、誰もが口を閉ざしていたような気がする。
私は極端に剛さんに寄ってるから、彼の体調のせいでこうなっているって責めている人もいてすっごくしんどかったなぁ。私みたいな思考、言動だと何か言葉を零しても養護してる!って言われそうで怖くて何も言えなかった。
こうなってしまうと、悪い方にばかり思考が転がっていく。
信憑性の欠片もないネットニュースに目が行ってしまうし、社長が天へと登った影響がどこまで及ぶのかとか、SNSでまことしやかに囁かれる噂をちょっと信じ込んでしまったり。
ぐるぐるぐるぐる考えて、決して言葉が多い方ではないふたりの考えまで読めなくて、彼らがグループを続けていきたいのかもわからない…と、自分ではもうどうにでも出来ない域にまで叩き落とされた。
TLでは堂本剛オンリーVS堂本光一オンリーの図が定番化してきたし、ちょっともうしんどいな、只々好きなだけで、幸せで、楽しかっただけなんだけどな…。
あぁ、どうしようかな。って思いながらの7/13。
音楽の日。
「たった3週間で何があったの?!」って思わせるような完璧なパフォーマンス。ひたすらにかっこよくて、あまりに完璧。KinKi Kids…、あれはKinKi Kidsだったんだよ。この言葉以外でなんと言っていいのか分からない。
3曲のメドレーを危なげなく歌い上げたその姿を見て、やっと冬が終わったと思った。軽快なMCをメイン司会の中居くんと交わすふたりを見て、おかえりと言わずにはいられなかった。KinKi Kidsの底力を感じた。40歳のおじさんの意地を見た。
この日だけで一体何人のオタクが息を吹き返した事か……。
あんなにも浮足立ったKinKi Kids担達を久しぶりに見たよ。誰ひとりとして涙に沈むことなんて無かったんだよ。まさに延命治療だった。
最高じゃなかった?
私が応援しているのは沈んでいく泥舟に乗っている人たちなんかではなく、誰にも何にも負けないエンジンを搭載した船で世界一周旅行だって楽々こなしちゃうこの人たちなんだよって目が覚めた。
少し前までは出来なかった楽曲前のトーク、カメラ目線、ギターを弾きながらの歌唱、ヘッドホンを外した状態でスタジオにいること、企画への参加、エンディングへの参加。素人目にも、剛さんが出来るようになった事ってめちゃくちゃ多かった。
最後のエンディングなんて特効が使われてたのに、ヘッドホンを外して微笑む剛さんがいたんだよ。
光一さんが剛さんの事を全く気にかけていない、という旨のツイートも数々見てきたけど、私は全然そんな事ないと私は思う。無意識の外で気にかけているというか…。「お前に何がわかるんだよ?」って言われたらそこまでだけど、あの温かい空間はふたりにしか作れない。
その証拠にエンディングで時代を歌っている光一さんは"例のキャップ"を仕込んでいたのに、歌い出しのタイミングでちらりと剛さんにアイコンタクトを送っていた。お花畑だと嘲られようとアレは、相方の事を気にかけていたんだと私の目には映ったよ。
光一さんが感情を言葉に乗せるのが下手な人間だって事ぐらい、私達オタクなら知っていたじゃないの。その分行動でいろいろ示してくれる人なんだよ。でもその"行動"は露出がないと目につかない。ラジオなんかで声を聞く事はあっても、行動までは見ることが出来ない。不器用な自担を持つ我々オタクも結局は不器用だったっていう落ち。
ここまで重々しく書いてきて、結局何が言いたいのかっていうと、
「私はまだまだ担降りせずに済みそうです」っていう事。死にかけていたKinKi Kids担という自分が、今夜は元気に小躍りしてるよっていう事。
一生なんてとても誓えないけど、今の私の気持ちは晴れやかです。
少しずつ、少しずつを重ねてここまで戻ってきたKinKi Kidsは最高です。
夏が似合わないと散々言われていたKinKi Kidsだけど、2年前のあの日から、KinKi Kidsと夏は切っても切り離せない関係になったね。ドラマチックな夏はきっと、来年も再来年もあるんだろうな。
あなた達を応援していると、酸いも甘いもあるけれど、私はKinKi Kidsが好き。
KinKi Kidsが好きだよ。
つぎは宇宙船に私も乗せてください
今日も堂本剛に"最高"を更新されたので衝動的に筆を取った。ライブ後の疲労感ってどうしてこんなにも心地いいんだろう。
剛さんが横浜アリーナ公演でどう見ても1人乗りの宇宙船から登場してきて早2ヶ月とちょっと。
今回のツアー、今日が私の最終日だった。相変わらずENDRECHERIは期待よりも上をいく。今日もとんでもなくカッコ良かった。
ジャニーさんが亡くなって、私たちが暗い顔をしてちゃいけないよね…なんて公演前に考えてたりもしたけど始まったらそんな考えなんて一瞬もよぎらないぐらいには今日もカッコよかった。ただひたすらにカッコよかった。
まず冒頭の映像からして電子麻薬か何かですか??っていう程テンションをブチ上げられるし、やみつきになる。語彙力を奪われていくあの感じ…。
圧倒的な興奮の前には理性なんて無意味。日頃溜めてるストレスや鬱憤すらもその場では全て奪われる。
今回のツアーを通して、剛さんは割と親しみを感じる面を多く見せてくれていたような気がする。私を惹き付けて止まない詩歌を仕上げる彼が「バチクソ」だの「超」だのという言葉遣いで話すあのラフさ、雄っぽさ。普段メディアでは出さないようにしているであろう粗暴さ。同じ人間だなって思わせてくれる瞬間が多かった。
東大寺円盤の特典を見て思ったけど、40歳男性なんだよなぁ、堂本剛って。
かと思えば曲が始まると、とんでもなく眩しく煌めくものだから、やっぱり私の神様だ…なんてクラっときたり。
特にあの、CCKでオーディエンスを煽るだけ煽ってこちらに一目もくれることなく袖にはけていく姿は痺れる。アルコール片手に観たら上がるところまで上がって戻ってこられなくなりそう。
思い返せば、どの公演も本当に自由度が高かった。
まだ世に出ていない新曲が披露されて、ノリ方をファンが瞬発力を存分に発揮しながら、みんなで考えるような場面が多くて楽しかった。
8月に出るアルバムは遊びの延長で作られた曲が多いって聞いたからその効果もあるんだろうか。気張らなきゃいけない雰囲気が1ミリも無かった。それって出来そうで中々出来ないことなんじゃないかな。
これが剛さんの愛してやまないファンクの力でもあるのだろう。どこか泥臭くて、人の本質が晒されていて、でもその人が持つある種歪んだ個性すらも飲み込む許容の音楽。
「あぁ、あなたの色はそれなのね。歓迎するよ」って言ってもらえているかのような心地になる。逆に、"自分"と言うものを提示しないと受け入れてはもらえないような面もある気がする。
これが自由の中のルールってやつなのかな?
剛さんはオーディエンスの視線を集めるべき場面ではしっかりと数千人規模の目を自分に向けさせ、他の演者を引き立てるべき場面では自分の存在感を埋めることが上手なんだな、っていう気づきもあった。
それは、照明さんや演出の力も勿論あるんだとは思うけど、10代の頃から培ってきたステージの上での振る舞い方が上手い。あれは一朝一夕でできる代物じゃない。
だから私たちは堂本剛が欲しがるリアクションを知らずのうちに取ってしまうんだろう。手のひらの上で転がされてる。それがまた快感。
愛してやまないフロントマンが素晴らしいのは今更私が語らなくても周知の事だけど、やっぱりTU FUNK ALL STARSは一騎当千のバンドメンバーが集っているから、演奏が一級品なんだよなぁ。各曲に好きなフレーズがある。もっと言うと、演者ごとに好きな癖がある。
セッションなんか秒で終わっていく。
あれって40分以上はやってるんだってね、ちょっと信じられない。
体感ではすぐ終わってしまうのに、それぞれの演奏の密度が高いからしっかりと演奏が頭に刻まれる。ずるい。
そんな調子だから、ライブに入る度に、その日いるメンバーで"最高"が更新される。
剛さんの声の伸び、フェイク、パフォーマンス1つ1つが公演毎にレベルアップしていく。TU FUNK ALL STARSで用いられるリフが、アレンジが、筆舌しがたいぐらいにはgrooveしていく。こんなに観ていて気持ちいいのは、私が生きてきた中で未だこのバンドだけかもしれない。私は虜になりました。
いやしかし、振り返るとあの宇宙船からの登場はやっぱり衝撃的だったよね。帰りもちゃんと宇宙船に乗って帰っていったけど、アンコールは普通に舞台袖から歩いて出てくるっていうところまでセットで堂本剛の世界だった。
次に"最高"が更新されるその時が、待ち遠しい。
そのうち剛さんがPファンクよろしくステージにオムツを履いて上がってきたらどうしよう、という若干の不安を抱えて、その時を待つ。
愛でしかなかったな
2019年7月1日、
ENDRE CHERI名古屋センチュリーホール公演。
この日の私は普段とはちょっと違う緊張感を抱えてライブに参加した。
と、いうのも。
ジャニーさんに関する正式な発表が公演直前にあったから。
この日のMCで、絶対に剛さんが何かしらのコメントをするだろうなと確信していたから。
剛さんにとってジャニーさんというお方がどれだけ大きな存在なのかを彼の言動から知っていたから。
お豆腐メンタルの私がそれらを受け止められるだろうか、とドギマギしていた。
その確信は正しく、剛さんはアンコール後のMCでジャニーさんについて言及した。
けれど、それは私が思っていたような重々しい内容ではなく、堂本剛らしいユーモアを交えながらのサラッとしたものだった。
サラッとしたものだったけど、そこには確かな愛が見て取れて胸を打たれた。
「ジャニーさんが頑張っているから『スーパーミラクルジャーニー』という曲を」と言ってのけた剛さんは、私が思っていたよりもずっとずっと強い芯を持った人間だった。
剛さんが強い人間であることは知っていたけれど、観客を涙に沈めることなく、まとめ上げるその手腕に舌を巻いた。
堂本剛を完全にナメていた。この手の話題に突っ込んでくるのに手放しな訳がなかった。
「音楽をやりなさいと言われた」
「音楽のレールを敷いてくれた」
剛さん曰く
「僕の人生ほとんど音楽しかしてきていない」らしい。
そんな剛さんが、ジャニーさんの入院の正式発表があったその日に"音楽"を通じて出来た仲間と「スーパーミラクルジャーニー」という曲をセッションした。
オーディエンス3000人を巻き込んで、音楽という形で、闘っているジャニーさんにエールを飛ばした。
ジャニーさんが導いた音楽という道で、愛を表現する堂本剛の説得感ったら半端じゃない。
「各々好きなタイミングでジャニー、と叫んでくださいね」と微笑みながら優しく述べる剛さんの愛の大きさ。
セッションが始まれば、普段よりも格段に、意志を感じられるバンドメンバーの演奏。
特に十川さんのソロパートには震えた。
「You 彼とはずっと一緒にやったほうがいいよ」とあの社長に言わせ、グループでの音楽活動にも関わってきた十川さんの演奏は、雄弁に愛を語っていた。
一騎当千のバンドメンバーが本気を出して気持ちを演奏に乗せるとこんな風になるんだな、と味わえた夜だった。
誰1人として重たい顔はしていなかった。
笑いすら起きた空間。
側から見たら不謹慎に見えるかもしれない。
けれど、あの空間は愛以外のなにものでもなかった。
愛でしかなかったな。
堂本剛に救われた話
私と堂本剛との出会いは、彼個人のラジオ「Fashion&Musick Book」からだった。
当時の私はまだ学生で、冬将軍がドンと居座る夜の駅のホーム、その頃はまだ120円だった缶のコンポタを片手に、ぼうっと呆けながら線路を見つめていた。
ーー死にたい。もう耐えられない。
そんな気持ちを持て余し、ただただ線路を見つめていた。
何故だかは、もう覚えていない。
けれど、普段は聴くことがないラジオがイヤホンを通して頭に流れていた。
そう、その時流れてきたラジオこそが「Fashion&Musick Book」だ。
堂本剛が、優しい声音で何かを話していた。
悴む手を擦り合わせながら、まだ動けずにいた私にとって、その優しさには堪らない物があった。
堂本剛は、リスナーからの相談を受け、自らのパニック障害について語っていた。
身内の話になり申し訳ないが、私の家族は精神的な病を恥とし、親族から出た精神病者もこっそりと蔑まれているのを目の当たりにしていた。
なので、薄々は勘付いていた自分の病の存在からは必死に目を逸らし、自分を誤魔化しつつ生きる毎日だった。ーーその結果、自殺の選択を手に取りそうな程には追い詰められていた。
一通りの経験を語り、病気に対するアドバイスを交えながら話し終えた彼。
その日、堂本剛が選曲したのは「ソメイヨシノ」だった。今思うと、神様は本当にいるんだろうな…と思わされるようなトークと選曲。
涙が止めどなく流れた。
後にお母様を想って創られた曲だと知ったが、その時始めてソメイヨシノを耳にした私にとって、それはまさに救いの曲だった。
「この眼がこの雫を零す意味を誰か教えてはくれませんか?誰も知らない、僕も知れない」
当時の私は、特に意味もない涙を流す事が多かった。理由の無い焦燥感、不意にドン底まで落ちる気分。それに伴い瞳からは涙が流れる。でもその涙のわけが、自分では理解できない。
そんな私にとって、このフレーズは響まくった。ハッとさせられた。自分と同じような人がいるのだと。
「理由がないから拭えなかったよ。君もそうなの?抱いてあげたい」
上にも記してある通り、理由がない涙を流しながらも、拭えない日々だった。
ほぼ初めましてだった堂本剛に、私はこの時、優しくも強くしっかりと抱きしめてもらった。
溢れる涙が止まらなかったのを、鮮明に覚えている。
ソメイヨシノについては共鳴したエピソードを挙げ始めるとキリがないので、特に感情を揺さぶったこの二点だけを。
兎角、頭を煉瓦でブン殴られたような衝撃を受けた私は線路に飛び込むことをやめ、家路についた。
そして次の朝、私は震える手で堂本剛からもらった愛を握りしめて、両親に「精神科にかかりたい」という旨を告げた。
いい顔は、されなかったように思う。
恐怖が先行しすぎて、あまり覚えていない。
ただ、承諾はしてくれた。
それだけでありがたかった。
受診した結果、抑うつ、パニック、パーソナリティ障害との診断結果が出た。
この病気たちとは今でも付き合いをしていて、上半期にはこれらが原因で入院までした。
だが、処方された薬を飲んだら、死にたい気持ちもコントロールがある程度は効くようになった。
それもこれも、あの日のラジオのおかげ。
あの凍えるような寒い駅のホームで堂本剛のラジオを聴いていたから。
自分の病気をオープンにして、同じ症状を抱える人に寄り添う選択を堂本剛がしてくれたから。そして、たまたまソメイヨシノを選曲してくれたから。
今もまだこの世に私がいます。
堂本剛にこの命を救われました。